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「山梨に、滑れる場所以上の“居場所”を。」—スケーターが地元に築く、スケボーカルチャーの根

勝沼から中央道を抜け、山が途切れて甲府盆地が視界に広がる瞬間、「ああ、山梨っていい場所だな」と思う——。
そう語るのは、山梨県で屋内スケートパークとスクールを運営する倉鹿野隆之さんだ。

かつてスポンサードスケーターとして全国を滑ってきた倉鹿野さんは今、地元・山梨でスケートボードの「0→1」を生み出す場所づくりに取り組んでいる。行政との社会実験、子ども向けスクール、そしてストリートカルチャーへの葛藤。その根っこにあるのは、「山梨にカルチャーを根付かせ、循環させたい」というシンプルで強い思いだった。

山梨で動き始めた、スケボーと行政の「社会実験」

—今、甲府では行政と一緒にスケボーの取り組みが進んでいるそうですね。



はい。甲府駅南口周辺の、あまり使われていない広場や公園を「若者が集える場所にしよう」という社会実験が行われていて、その一環でスケボー教室の講師をやらせてもらっています。椅子とテーブルを置いたり、暗かった公園をライトアップしたり。路面の悪かった公園を整備して、スケボーのジャンプ台を置いたりもしています。

—反響はどうですか?

150人ほど来場があって、多い方だと思います。県と市が一緒に数年分の集計を見て、「いい傾向だね」となれば、数年後には公園のリニューアルに合わせて公共のスケボー施設ができるかもしれない。山梨での「第1号」になる可能性があります。実際、他の市町村でも同じような動きが出始めていて、1個できれば連鎖していく手応えはありますね。

—場所を用意するだけでは、うまくいかない?

そこが一番大事なところで。例えば「この公園のこの場所、スケボーやっていいですよ」と行政が決めたとしても、路面は悪い、セクションは何もない、告知はホームページだけ——それで「何人来るか調査します」と言っても、間違いなく人は来ないんです。
路面はこうじゃなきゃいけない、セクションはこれとこれがあればいろんな人が来る、そこで教室をやれば人は集まる。そういうことをスケーターがちゃんと携わって、一緒になってやらないと、せっかくの取り組みが無意味になってしまう。やっている人じゃないと本当にわからない部分なんですよね。

カルチャーとスポーツ、そのあいだで

—オリンピック以降、スケボーを取り巻く空気は変わりましたか?


変わりましたね。スクールに来る子も「テレビでオリンピックを見てやりたいと言い出した」という初めての親子がすごく多い。習い事のひとつとして、サッカーや野球やピアノと同じくらいの立ち位置にはなってきていると思います。
ただ、複雑な部分もあって。もともとスケボーはアメリカのストリートから生まれたカルチャーで、決まった場所も決まったルールもない。サッカーや野球のように「このルールの中でゴールを決めたらOK」という競技とは根本が違うんです。それが今、カルチャーの面とスポーツの面が一緒になってきている。

—スポーツ化への違和感もある?

完全にスポーツになってしまうと、ものすごくつまらなくなっちゃうんですよ。今、キッズの大会が全国で開かれていて、大会に出るために始めて、大会が終わると辞めてしまう子が結構多いと聞きます。
自分たちの世代には「スケボーを辞める」という選択肢自体がなかった。やっていない期間はあっても、「辞めた」という言葉に違和感があるくらい、人生の一部、生活の一部なんです。だからうちの店には、ストリートのスケート雑誌をあえて並べておこうかなと思っています。大会を目標に頑張る子も応援したいし、「ストリート面白そうだな」と思う子が出てきたら、それも全力で応援したい。0から1にしたら、その先は自由に育ってくれるのが一番嬉しいですね。

なぜ、山梨なのか

—県外でやるという選択肢はなかったんですか?

なかったですね。山梨が好きだから、というのが一番です。
山梨は昔から、若者が県外に出てしまう傾向が強い土地です。公園がない、若者のための施設がない。
「ここにいても得られるものがない」と感じさせてしまう環境が、流出の一番の理由だと思っています。スケボーに限らず、若者が地元にいたくなる場所を、大人が作らないといけない。

—ご自身の経験も背景に?

自分はスケボーにすごく救われた人生を送ってきたと思っています。学校では教えてくれないこと、先輩から教わったこと、いいことも悪いことも含めて。そういうことを教わるきっかけって、昔よりすごく少なくなっているし、少なくしてしまっているのは大人なのかなと。
少し前まで現役でやっていましたが、スポンサーもなくなって、このまま引退して会社員として残りの人生を送る選択肢もありました。でも、自分が何もせずフェードアウトしたら、山梨には何も残らないと思ったんです。下の世代の子や、これからスケボーを始める子に、自分がやってきたこと、カルチャーのいいところを伝えられずに終わるのは、すごく心苦しかった。

—「根付かせる」だけでなく「循環させる」ことも意識されていますよね。

そうですね。自分がスポンサードしてもらったショップも、いずれ同じように年を取っていく。そのとき「じゃあ次」とバトンが渡っていく流れを、すごく大事にしたいんです。ショップにしてもカルチャーにしても、どこかでストップして途絶えてしまうのが一番嫌で。今はオリンピックの影響で「やりたい」という子が多い。これをチャンスとして循環の材料にしない理由はないな、と思って始めました。
一人でやるというより、山梨で活躍しているアーティストや飲食店、近所の方、そして行政。そういうコミュニティと一緒に育てていって、「山梨といえばあそこだよね」と言われるくらい地域に根付いて、長く続けたいと思っています。

どんな人に来てほしいか

—最後に。このパークには、どんな人に来てほしいですか?

スケボーを始めたい人、やっている人、なかなか滑れなくなってきたおじさんスケーター、全員です(笑)。屋内なので、風が強い日も雨や雪の日も滑れる。こういう環境は近県を見てもすごく少ないので、県外の人にも来てほしいですね。
でも一番のメインは「0→1」を増やすこと。スケボーをやったことがない人が、スケボーに触れるきっかけを増やしたい。乗ってくれたら、それでスケーターが一人増えたようなものなので。いろんな場所にパークができて、いろんなところでスケーターが増えて、交流が生まれて人口が増えていく——それが一番の理想です。

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